LEADERS BLOG
「よくご存知ですね!」
「博学ですね!」
「知識ありますね!」
と人から言われて気分を害する人ってあまりいないですよね?ある事柄について知識があること、貪欲に知識を吸収しようと努力すること、これらは楽しくそして豊かな生活をする上で必要な事だと僕は考えています。知らないことを知る喜び、新たな知識を得て新たな体験ができた時の達成感、これらを無上の喜びと感じる人は多いと思います。
さて、今回のブログは僕が最近「魚屋さん」で買い物をして感じた事をご紹介します。みなさんに少しでも共感いただける箇所があると嬉しいのですが・・。
私がよく買い物をするスーパーは「水産卸店」が鮮魚売場を担当していて、元気のある店員さんが「ぃらっしゃいらっしゃーい♪」と威勢よく買い物客に声をかける、そんな昔ながらの魚屋さんスタイルで販売をしています。
さて、僕は魚のことや料理のことがあまり詳しくないので、実はこの魚屋さんちょっと苦手なんです(笑)
何を選べばよいかわからないし、美味しい魚の見分け方もわからないからです。ちょっと敷居が高いというか、コミュニケーションがとりにくいと感じているんだと思います。
だから「何にしましょう!?」「今日は何を買いに来たんですか!?」「今日はこれが安いよ!」と元気よく聞かれても、無難に「たこ」とか「さんま」とか知っている魚を買うことがほとんどでした。で、ある時この魚屋さんで魚を見てると「今日はどんな夕飯を考えているんですか?」と優しく声をかけてくれる店員さんがいました。「さぁ~、今日は何にしましょう!?」という入りではないんだなーと、思いつつ、「今日は暑いからさっぱりできる献立にしようかな」と伝えると、だったらこの魚とその魚とあの野菜を使ってこんな料理をするとおいしいよ!簡単に作れるから奥さんにも喜ばれるよ!と教えてくれたんです。
『・・・うーん、この人はプロだ!』と感じた瞬間でした。魚屋なんだから、魚の知識はあって当たり前。その上で、野菜の知識や魚をよりおいしく食べるための知識といった魚以外の知識を習得し、その上で顧客の属性から要望を予測して仮説をたてて提案するという姿勢にそう感じたんです。私は「魚」が欲しい訳ではなく「(魚を使った料理で)家族が美味しいと喜ぶ笑顔」が欲しくて魚を手段として購入しようとしている訳なので。きっとこの魚屋さんは「この人(僕のこと)は魚や料理のことあまり知らないし買い物も苦手なんだろうな」と僕を見てそう感じたから、優しく声をかけてくれたんだと思うんですよね(笑)
これからの世の中、知っているだけ、専門分野だけの知識だけ、で顧客の心を掴むことは難しい。顧客が何をしたいのか?何に困っているのか?を想像し、ヒアリングをして、その上で持っている知識をフル活用して付加価値のある提案をする。きっとこれが、これまでもそしてこれからも社会・顧客から求められる姿勢なのではないか、と改めて感じた魚屋さんでの出来事でした。
ちなみにその日の献立は「鯵の南蛮漬け」。美味しくいただきました♪
『アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外のなにものでもない。』
これは1940年に出版された「アイデアのつくり方(ジェームズ・W・ヤング)」で紹介されている概念です。また、多くのクリエイター・イノベーターの方々が異口同音におっしゃっている概念でもあります。つまりアイデアとは0から生まれるものではなく、すでに目の前にあるモノやコトを組み合わせることで生まれるもの、ということですね。
どうですか?
「なんか新しいアイデアや商品を私でも作り出せそうな気がする!」
と思いませんか?
だって、ダビンチやジョブスのような天才奇才じゃなくてもアイデアは生み出せるということですもんね。誰もが思いつかない「組み合わせ方」を見つければ良いのですから。
なんかワクワクしてきませんか?
さて、ここから少しだけ自慢話をさせてください(笑)
三和物産では最近新しい「アイデア」がたくさんうまれています。それもいろんな部署、いろんな人たちから!アイデアの詳細はこのブログでは割愛しますが、僕の知る限りでは、このような状態は記憶にありません。
お客様と日々お会いすることが仕事の営業担当、商品を手配したりスムーズに物が動いているかを管理する商品調達担当、祭壇や家具を作る職人、棺に高度な加工を施す技術者、そしてアイデアをカタチにするデザイナー、このように異なる領域で日々仕事をしている仲間の知恵を組み合わせることができているからこそ、アイデアがどんどん生まれているのではないか、と私は考えています。
以上、自慢話でした!
さあ、今回のブログの締めくくりに、冒頭にご紹介した「アイデアのつくり方」からアイデアを生み出す際のもう一つの重要な観点をご紹介します。なかなか含蓄のある文章です。
『既存の要素を新しい組み合わせに導く才能は、物事の関連性を見つけ出す才能に依存するところが大きい。』
ではまた!
かなり個人的な情報なので、ほとんどの人にとっては重要度が低い(つまりどうでも良い)ということを承知の上でお知らせすると、今年僕は50歳になります。50歳・・。かの信長が歌った「人生わずか50年♪」の50です。50回、桜咲く春を見てきたわけです。実に感慨深いものがあります。15の夜に抱いていた煩悩や苦悩をそのまんま50の私が変わらずに抱いているという現実に、切なさとやるせなさと同時に、まあこんなもんかな、という諦観に似たさわやかな気持ちになる今日この頃であります。
さて、最近10代、20代の若い人たちを見て感じることがあります。それは「自分とは全く異なる人たち」という感覚です。『価値観が違う』というのでもなく、もう様々な前提や見えている世界が異なるんだろうなという感じです。うまく言えませんが。断っておくと、これは「今の若い者は・・」という苦言の類では全くありません。逆に、凄いな!と心の底からの敬意と少なからずの敗北感を含んだ想いです。行動力、考え方、アイデア、ファッション、遊び、仕事への取組み、社会をもっとよくしたいという想い、など書くときりがないくらい、様々な領域でそう感じます。
まあそんなわけで、今の僕ができる(すべき)ことの上位には、間違いなく「若者のサポート」と「若者にできない(気づかない)領域での能力UP」を置くべきだと感じています。
若者やこれから生まれてくる人達をサポートしつつ切磋琢磨するためにできることは何か?これが人生100年時代の今、僕の行動の原点だと思い定め、毎日を大切に大胆に使っていこうと思います。
がんばれ50歳!これからだ50歳!!
僕はどちらかというと「争いを好まない」人間だと自己分析をしています。「争い」というと解釈の幅がとても広いので、真意をお伝えすることがなかなかに難しいのですが、ここでは『正論や己のイズムを振りかざし意見の異なる相手を論破したり暴力をふるったりする』ということを「争い」と呼ばせていただきます。
さて、この日本では古来より「和をもって貴しとなす(以和為貴)」という価値観が大切にされています。かの聖徳太子も十七条の憲法のド頭で言及しているくらいです(皆さん覚えていますか?(笑))。何事にもよらず「和」が大切で、個人と個人の間はもちろん、家庭・組織・会社・社会・国家に於いてもこの「和」ほど尊いものはない、という考えです。僕も「和」は貴重な理念であり状態であると考えています。
「和」とはすなわち「平和」「調和」ですが、最近は探すことが難しくなっているような気がしませんか?古来より、人の歴史は争いの歴史、であることに間違いは無いと思いますが、だとしてもいつの日か「和」で世界が覆われ人々が幸せに生活できるようになればと考えていますし、今後もそうなるよう微力ながら活動をしていこうと強く想う今日この頃であります。
【補足】
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」という言葉があります。
僕なりに解釈すれば、
対話してお互いの意見の相違を認めつつ対話の末に納得して行動することは良し!
対話することなくみんなが決めた事だからと嫌々従い行動することは悪し!
となります。
つまり「和」とは意見や考えを無条件に相手に合わせる、という思考停止を理想としているわけではないということです。自分で考え勇気をもって対話する、その先に新たな道が開けてくるということを偉大な先人達は僕たちに伝えようとしているのではないでしょうか。
「和して同ぜず」ができているか?「同じて和せざる」になっていないか?
お互いに、日々己の生き方を自省しながら時間と仲間を大切にしていきましょう!
「つながりが実感できる新たな別れのカタチを創る」
これは僕たち三和物産が掲げている使命(ミッション)です。つまり、三和物産がこの社会そして世の中に存在する意義であり、提供すべき(できる)価値となります。これを使命と覚悟を決めて事業と経営をおこなっています。
さて今回はこの「使命」の解釈を述べさせていただこうと思います。
コトバごとに解釈し、最後にフレーズ全体の解釈をするというカタチでご紹介します。
え?
つまらなそう?
まあそうおっしゃらずに、ぜひお付合いください!
そして感じた事やご意見などお寄せいただけると嬉しいです。
ではさっそく【つながり】の解釈から。
【つながり】
感謝・敬意・愛情を相手に届けようと思う気持ち。
その相手は身近にいる人、まだ出会わない未知なる人、そしてもうこの世では言葉を交わすことができない人など、その対象はとても広範囲で時空を超越したもの。つまり物理的な「つながり(connect)」ではなく概念としての「つながり(ties)」であり、「自分以外」つまり社会や他人に素直な気持ちを伝えよう(伝えたい)とする想いこそが「つながり」である。
テクノロジーの進化や価値観の多様性などを背景とした『つながり』の希薄化というか変容が指摘される現在に於いて、改めて「『つながり』とは何か?」をじっくり考察し、そして取り組み格闘していく姿勢はとても大切だと考えています。
【実感】
誰から何を言われようとも、自分がしっかり肚落ちして感じることができている状態。
ニュアンスとしては「理解(頭で整理して解釈する)」ではなく「感覚(感じる)」。つまり客観的ではなく主観的なもので、あれこれ定義付けしたり、無理くりこじつけて納得したりするものではなく、正直で素直な心で感じること。
【別れ】
大切な人とのわかれ(離別)、昨日の自分とのわかれ(挑戦)、常識からの別れ(変革)
「別れ」は基本的にネガティブなものとして受け止められることの多い概念ですが、ここでは「変化」と解釈します。
【カタチ】
感謝や惜別の気持ち、挑戦や変革の想い、の表現方法。
僕たちは、葬儀や告別式といったお亡くなりになった方々との最期のお別れの場で使用する道具を製造し販売しています。また、愛する人・大切な人との別れに直面している方々に寄り添いそして支えることに真摯に真剣に取り組まれている葬祭事業者様のお役立ちができるかことは何か?を考えそして行動しています。
10人いれば10の異なる想いがあり、その結果として10の異なる「カタチ」があるんだ、ということを忘れることなく様々な表現方法を世の中に提示していくことが必要だと考えています。
【創る】
世の中に提示すること。発信すること。
カタチあるものを製造するだけではなく、表現方法といったカタチのないもの、そしてカタチあるものとないものを掛け合わせた体験価値、それらを社会に発信することではじめて「創出」したことになる、と考えています。つまり社会に問いかけ続けることが大切だということを意味します。
【つながりが実感できる新たな別れのカタチを創る】
人々が感謝の気持ち・他者への敬意を暮らしの中で実感し日々新たな気持ちで挑戦できる、そんな社会づくりに貢献する!
これが僕の三和物産の使命の解釈です。
さて、いかがでしょうか?
「使命」を分解して解釈をしてみたのですが皆さんの解釈と比較してどうでしたか?
僕はこのような解釈を基に、そして、三和物産の仲間と共に、これからも日本の人々が豊かに安心して誇り高く生活できる社会づくりに微弱ながら貢献し活動していきたいと考えています。
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