LEADERS BLOG
最近、数十年ぶりに本棚の奥から『三國志』を引っ張り出して読み返しています。10代の頃に夢中になった物語ですが、今読むと以前とはずいぶん違って見えるから不思議です。物語自体が変わったわけではないので、変わったのは読む側の僕の方なのでしょう。
昔は、強い武将と頭の切れる軍師にとにかく目がいっていました。関羽、張飛、趙雲、諸葛亮。誰が強いのか、どんな戦い方をするのか、誰が誰を破ったのか。圧倒的な力と知恵で道を切り拓く人物に、単純に「かっこいい」と憧れたものです。あと、蜀(劉備)=正義、魏(曹操)=悪というシンプルな構図で、蜀を応援しながら読んでいた気もします。
今、以前と比べて気になるのは、 「なぜ、この人のところには人が集まるんだろう」 「なぜ、これだけ優秀な人たちが、この人についていくんだろう」 という、関係性にまつわる部分です。
たとえば劉備。三國志の主役級ですが、戦えば必ず勝つタイプではありません。むしろ負けて逃げ、土地を失い、人を頼り、また立ち上がる。その繰り返しです。若い頃は劉備の言動に結構イライラしていました(笑)。それでも彼の周りには人が集まってくる。当時はさほど気にならなかったのに、今は「なんでだろう」と強く興味を惹かれます。
仕事でも、能力の高い人が一人いればすべてうまくいく、ということは無いと僕は考えています
・自分より得意な人に任せる ・人の意見を聞く ・時には頭を下げる ・失敗しても、また人を集めてやり直す
こうしたことを積み重ねながら、チームとして目標に向かって力を合わせる場合、個の能力の総和をどう最大化するかがとても大切で、そして簡単なことではないと感じます。
企業で長く働くようになり、自分の立ち位置も変わりました。昔は自分自身がどう成果を出すかを考えることが多かったのですが、今は同じくらい「誰かが力を発揮できる状態をどうつくるか」「現状を踏まえた中長期での組織の最適解は何か」を考えるようになりました。だからでしょうか、昔は武将の強さを見ていた三國志を、今は「善悪を超越した人と人との関係の物語」として読んでいます。同じ本なのに、読む時期によってこんなに違って見えるものかと驚きます。
これはきっと三國志に限った話ではないのでしょう。 昔好きだった本。 昔観た映画。 昔訪れた場所。 数十年ぶりに触れ直すと、当時の自分には見えていなかったものが見えてくることがある気がします。50代半ばになり、最近それを特に強く感じています。
僕は、ふらっと書店へ足を運び、並んでいる書籍や雑誌を眺めるのが好きです。以前、東京に住んでいた頃は、最寄り駅の書店に気軽に立ち寄ることができました。金沢に引っ越してからは、書店へ行くにもクルマでわざわざ出向く必要があり、以前のように「ちょっと寄ってみる」という感覚ではなくなりました。それでも、月に数回は書店巡りを続けています。
では、書店巡りの何が面白いのか。
僕なりに挙げると、次の3つがあります。
1つ目は、今の世相がわかること。
2つ目は、自分の悩みも、実は多くの人と共通しているのだと感じられること。
3つ目は、自分でも無意識のうちに気になっていたことが、本のタイトルや特集を通じて顕在化することです。
案外、共感していただける方も多いのではないでしょうか。
特に2つ目については、自分の中でアンテナが立っているからこそ、関連するタイトルに自然と目が向くという面もあると思います。加えて、53歳という比較的人口の多い世代、いわゆる団塊ジュニア世代、就職氷河期世代、バブルの恩恵を大きく受けられなかった世代に属する僕自身が、書籍や雑誌の読者ターゲットとして捉えられやすい年代なのかもしれません。
ところで、書籍や雑誌がたくさん置かれている場所としては、図書館もあります。
しかし不思議なことに、図書館では、書店で感じるような「今、多くの人が何に悩み、何を求めているのか」という感覚を強く受けることはあまりありません。
もちろん、図書館と書店では存在意義も目的も異なります。図書館は知識や情報へのアクセスを支える場であり、書店は今まさに人々が手に取り、買いたいと思うものが並ぶ場です。だからこそ書店には、人間の欲望や不安、関心や憧れといったものが、非常にわかりやすく、しかも上品な形で表れているように感じます。僕は、その空間にとても魅力を感じています。
この感覚は、私たちの仕事にも通じるものがあるように思います。お客様が本当に求めている価値は、必ずしも最初から言葉になっているとは限りません。むしろ、まだはっきりと言語化されていない不安や願い、違和感の中にこそ、新しい商品やサービスのヒントがあるのではないかと。
目の前のお客様の声を丁寧に聞くこと。世の中の変化に目を向けること。そして、その奥にある「まだ言葉になっていない想い」を感じ取ろうとすること。それが、顧客価値の創出につながり、ひいては企業価値の向上にもつながっていくのではないかと考えています。
書店に並ぶ本は、単なる商品ではなく、今を生きる人々の関心や悩みの写し鏡でもあります。次回の書店巡回では、どんな発見に出会えるのか。そしてその発見を、私たちの仕事にどう活かせるのか、また考えてみようと思います!
読書。これは僕にとって数少ない趣味の一つであり、子どもの頃から続いている習慣でもあります。 読書というより活字を読むのが好きなのだと思いますが、電子媒体は少し苦手で、できれば紙媒体に印刷されたものを、その手触りと共に読み進める時間がとても好きです。
さて先日、何気なく自宅の本棚を眺め、何冊かを手に取りパラパラとページをめくっていて、ふと気が付いたことがありました。
1つ目は、「同じタイトルの本が何冊かある」ということ。
2つ目は、「過去に自分が引いたアンダーラインや書き込んだコメントに、強烈な違和感を覚えた」ということです。
取り立てて大声で言うようなことではないのですが、個人的にとても興味深い発見でした。
1つ目に関しては、「読んだ本の内容どころか、タイトルすら忘れて再読(購読)する自分」という少し恥ずかしい発見です。ただ、本に限らず昔プレイしたゲームや漫画を「初体験」のような新鮮な感覚で楽しめるのは得をした気もしますし、人間の記憶力とは曖昧なものだなと苦笑いしてしまいました。
2つ目に関しては、共感していただける方も多いのではないでしょうか。「あの時は、このフレーズや考え方に感動していたんだな」と、過去の自分を俯瞰し、少し微笑ましくなりました。きっとまた何年か後には、今の自分の考えを同じように微笑ましく感じる日が来るのだろうと思うと、なんだか感慨深いです。
この2つの出来事から、人は様々なことを経験し、時には忘れながらも、振り返ってみれば確実に「変化・成長」しているのだと改めて実感しました(ちょっと強引な考察ですが_笑)。仕事でも日常でも、つい他人と比較してしまい、様々な感情が渦巻いて苦しくなることがあるかもしれません。しかし、他人と比べるのではなく、たまには「過去の自分」と比較して、自身の確かな変化・成長に思いを馳せる時間も悪くない。そう感じた今日この頃です。皆さんもぜひ、昔読んだ本や、過去に書いた自分のメモを振り返ってみてください!意外な自分の変化に気づけるかもしれませんよ。
先日、喫茶店でこんな場面を見かけました。
店員さん:「飲み物を席にお持ちしますので、お座りになっていてください」
お客さん:(やさしい表情で)「申し訳ないから、ここで待ってますよ。気にしないでください」
店員さん:(笑顔でなおも丁寧に)「お時間もったいないので、ぜひお席で」
お客さん:(笑顔で)「大丈夫。そんなせっかちではないので。ゆっくりでいいですよ」
店員さん:(苦笑い)「・・・・」
その結果、レジ前にはそのお客さんが立ち続け、後ろには会計待ちのお客さんの列が伸び、待つ人たちの表情には、少しずつ不満の色が出はじめる。
この場面を見て、いろいろ考えさせられました。
どんなに善意から出た行動でも、どんなに本人が「相手のため」と思っていたとしても、
それが有効かどうかは、何を目的としているのか、そして今どんな状況なのかによって変わる、ということを。
ビジネスの現場でも、誰かの「良かれと思って」が、全体に悪影響を及ぼすことがありますよね。例えば、人に頼むのが申し訳ないからと一人で仕事を抱え込む「善意」。それは一見美しいですが、結果的に自身の長時間労働(従業員の安全と健康の阻害)を招き、チーム全体の生産性(業績)を落とし、最終的にお客様への対応スピード(顧客満足度)を低下させてしまいます。
こうしたことは、どれも「悪意」ではなく、むしろ「善意」から起こることが少なくありません。だからこそ少し厄介です。本人に悪気がないどころか、「自分は良いことをしている」と思っている場合、立ち止まって見直すことが難しくなるからです。
仕事は、思いやりがあれば十分、というものではありません。もちろん思いやりは大切です。けれど、それだけでは足りません。
必要なのは、
いま何が目的なのか
その場では何が優先されるべきか
自分の行動は本当に相手や全体の役に立っているか
を考えることかなと。
僕たちの仕事は、一人で完結するものではありません。お客様、取引先、仲間、現場、全体の流れ。常に複数の人や事情が重なり合う中で成り立っています。だからこそ、善意だけで動くのではなく、目的と状況を見て、打ち手を選ぶ。この視点を持てるかどうかで、仕事の質は大きく変わるのだと思います。
気づかないうちに、
「相手のため」のつもりが、「自分の思い込み」になっていないか?
「以前成功したから」といって、「同じやり方に固執」していないか?
善意を持つことに加えて、その善意が本当に機能しているかを見直せているか?を改めて考えさせられた出来事でした。
3月11日は、15年前に東北で大きな震災が発生した日として、私たちの心に刻まれています。53歳の僕にとって、あの日から15年という月日は、驚くほどあっという間でした。かつての「関東大震災」が私にとって歴史の一部であるように、これから生まれる子どもたちにとっても、あの日は「歴史」になっていくのでしょう。そう思うと、時間の流れに不思議な感覚を覚えます。
さて、このブログを書いている2026年3月、世界はかなり混沌としています。個人の力ではどうにもならない無力感に襲われ、「今だけ、自分だけ良ければいい」という短絡的な思考に逃げたくなる瞬間が、僕にも正直あります。
特に、目まぐるしく進化する生成AIなどの新しいテクノロジーを前にすると、「僕はどう変わるべきか」と、日々迷いと試行錯誤の連続です。決して「正解」を携えて前を歩いているわけではなく、悩み、壁にぶつかりながら、悪戦苦闘しています。
でも、そんな時に私を前へと引き戻してくれるのは、日々接する「会社の仲間」の存在です。仲間と共に汗をかき、時にぶつかり、苦悩や達成感を分かち合う。そんな悲喜こもごもの「日常」があるからこそ、僕は未来を諦めずにいられます。そして、この「日常」をただ守るだけでなく、新しいテクノロジーを使いこなし、社会と会社をもっと良くする力に変えていきたいと思っています。
先は見えませんが、だからこそ面白いですよね。不安だけど(笑)
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