LEADERS BLOG
みなさんは「中庸」というコトバからどのようなイメージを持ちますか?
バランスがとれている状態・妥協の産物・普通(いい意味でも悪い意味でも)・面白みがない、などなど、人によって抱くイメージが多様な不思議なコトバですよね。
さて最近、年齢もキャリアも性別も価値観も異なる様々な多くの人たちと議論や討論をする機会が重なり、それがきっかけで今までと違った観点で「これからのこと」に向き合い考えるようになりました。自分の価値観や考え方を相対的に、少し俯瞰して眺めることができるようになったからだと思います。そこから、自分の考え方や判断基準に固定観念や独りよがりな点が多かったのではないか、と気が付いたと同時に「中庸」という謙虚に学ぶ姿勢が今の自分には必要だと改めて感じました。
「中庸」とは洋の東西を問わず歴史上多くの偉人が「あるべき状態」として尊重してきた概念です。私はそれを「あらゆるモノゴトを絶対視せず、謙虚にそしてしなやかに状況(今)に向き合う姿勢」と解釈し、これからの人生を歩んでいこうと考えています。凡人には難しくて険しい道ですが、一歩ずつ諦めず進んでいこうと考えています。
最近感じたことなんですが、「認識」ってなんだか難しいな、と。難しいというか「正しく認識することはなかなかできることではない」という方がニュアンスとしてはしっくりくるかもしれません。・・・・。すいません、意味不明ですよね。
状況を説明させてください。
ある時、ある人が「私は〇〇が苦手で、うまく〇〇できる人がうらやましい!」ということを言ったんです。僕はその人の〇〇は下手ではなく、どちらかというと上手だと思っていたのでめちゃくちゃビックリしたんです。で、「いや、どちらかといえば上手なほうだと思いますよ!」と言ったんですが、ご本人的には納得されていない感じで、なんかモヤモヤする、という一幕がありました。で、冒頭の「認識ってむずかしい」につながったという訳です。ある「現実」に対してどのように「認識」するかって人によって様々で、その時の状況によっても変化する不安定で不確実なものなんだと、改めて感じた出来事でした。
まったく話は変わりますが、僕はどちらかといえば「現実を悲観的に認識する」という思考のクセがあります。これは行動力や判断力に悪い影響を与えることが多くなかなか面倒なクセです。わかってはいるのですが「認識」を自覚的にコントロールすることが難しく、この年になっても苦労しています。自分の「自己認識」と第三者の「他者認識」にギャップがあることも意識しつつ、自分を鼓舞し他人に寛容になれる「認識」をもてるよう、日々精進していこうと強く感じる今日この頃であります。
2025年1月もあっというまに終わりましたね!皆さんにとってこの2025年が「挑戦できた!」「最高の年だった!」と認識できる年になるよう、さあ、がんばっていきましょう!
「もしも社会主義の国に生まれそこで生活していたら、今自分は何をしているだろうか?」
皆さんどうでしょう、考えたことありますか?
これは先日三和物産が実施した、あるゲストを招待しての講演会の中でそのゲストが投げかけてくれた問いです。
社会主義ってなんだろう?
資本主義とはどう違うんだろう?
社会主義の国で僕だったらどう生きるんだろう?
社会主義の国に住む人って何に喜び何に悩んでいるんだろ?
といった「?」がドバドバ湧いてきて、かなり興奮したことを今もはっきり覚えています。
なんか知らない土地や国を旅行して不安になったり途方にくれた時に感じる「敏感」さ、というか、うまくコトバにできないのですが「全ての物事に強烈な好奇心が発動する感覚」に近いものを感じました。自分が存在している社会があたりまえに持つ価値観を、その前提からひっくり返して想像することの面白さに、興奮したんだと思います。
その時以来、疲れた時や行き詰まった時は、前提をガラッと変えてそこで自分が何を感じるのかをイメージしながらリフレッシュしています。
え?それは一般的に現実逃避と呼ぶものでは・・、ですって?
違います!前提を問い直すことで体験できる「思考旅行(妄想)」です!
毎日お疲れのみなさん、お試しあれ!
<追伸>
もし僕が社会主義の国で生活していたら、きっと農業と漁業と狩猟を生業とした暮らしをしているような気がします。
5年・10年・20年。時間の経過や積み重ねが区切りの良い数字になるタイミングで「もう◎年たったんだ」「あっという間の◎年だったな」といった感慨と共に過去を振り返ったりすることが多いと思います。僕も何気なく10年前、20年前のことを思い出し、どう変化したのか?どう成長したのか?を自問することがあります。10年前と比べて自分はどう変化したか?日々変化の流れにいるとなかなか自覚しにくいものですが、そんな時便利なのが日常的にあまり会うことの無い人と会話です。電話でも良いのですが、できれば直接会って食事でもしながらだとかなり面白い発見があります。時にはグサッと心に刺さる嫌なことを言われたりもしますが、時を経て変化した自分を客観的に知ることができるという点でおすすめです!
さて、節目といえば三和物産の「桜風」という棺が誕生して今年で10年となります。これもひとえに、お客様・お取引先様・諸先輩方、そして今現在三和物産で日々変化と挑戦に向き合い戦っている三和物産の仲間たち、つまりは「桜風」に関わってくれている全ての人たちの支援や取組のおかげだと僕は考えています。感慨深く、感謝の気持ちでいっぱいです。これからも仲間と共に「桜風」を起点とし、そして媒介としながら新たな挑戦・新たな接点を構築し、豊かで優しい社会の発展、そして会社や仲間の変化や成長に貢献していきたい!と強く想う今日この頃です。本当にありがとうございます!
「プロジェクト」という文字を目にした時、皆さんはどんな気持ちになりますか?僕はなぜかジャッキーチェンさんの映画「プロジェクトA」のオープニング曲が脳内再生され、血沸き肉躍りワクワクします。え?あの名作「プロジェクトA」をご存知ない?ぜひ調べてご興味が湧けば鑑賞してみてください。もう40年前の映画ですが・・。
さて三和物産では数年前から「プロジェクト」としての各種取組に試行錯誤しながらとりくんでいます。一般的に「プロジェクト」の定義は【通常業務とは別の業務。特定の状況・場所・関係者で取組む活動】(諸説あり)かと思います。三和物産も大筋は同じですが、とても大切にしている観点があります。それは自主性・主体性です。どういうことかと言うと、希望者が自分で手をあげてプロジェクトを立ち上げ運営することを前提としていて、原則会社やマネジャーからの指示で取組むものではないんです。このあたりが難しくもあり面白いトコロで、僕たちがとても大切にしている観点です。
自らがプロジェクトを立ち上げ仲間と共に取組むという過程で得られるコト。これはプロジェクトによって異なりますが、通常業務では得られない「経験」を獲得できる、という共通点があります。当然「経験」には苦い想い、苦悩、葛藤が伴いますが、その先には達成感や成長といった当事者でなければ決して得られない果実がある!と僕は確信しています。
さあ、これから世の中が血沸き肉躍るようなワクワクする商品やサービスを、三和物産の「翔けるプロジェクト」が創り、そして発信していきます!
皆さん、乞うご期待!!
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