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LEADERS BLOG

2026.7.31 / 浜永 良成

先日近所のはじめての居酒屋に行ってきました。
高齢の夫婦とその娘さんがやっている年季の入ったお店です。

私の後に来店したカウンターのお客さん(私もカウンター席)につきだしが出されたのに自分にはきていない。(後で私にも「つきだしくださ〜い」と言うと「すいませ〜ん」とすぐに出して頂いた)

先にサラダを頼んだのにお隣さんに先にサラダが届く。

早めに頼んだイカのさしみがきた。ねっとりコリコリしてとてもおいしい。

しばらくして頼んだサラダが卵サラダに変わっているが「アレ?」と言うと(遅くなって)「すいませ〜ん」と言われたので頂く。

その後少し離れた席のお客さんが「あの〜卵サラダまだですか〜?」
、、、私食べました、、、、すいません。

30分ほど前に頼んだ枝豆がきた。ちょっと茹ですぎだけどホクホクで美味しい。

後ろの席から刺身盛り合わせの催促があったが届いたのはその20分後。

だんだん要領がわかってきた。
娘さんが冷蔵庫に他のお客さんのビールを取りに来る時に自分のおかわりビールを頼むとついでなので即来る。口癖のように「お待たせしました」と言う。
5秒しか待ってないけど。

テーブルのお客さんが帰るときには会計を間違えたらしくお客さんに指摘されて計算し直し、「すいませ〜ん」と5分ほどかかって訂正。だけどそのお客さんはにっこりと「ごちそうさまでした!」

こんなサービスなのにどのお客さんも怒るどころか嬉しそうに帰っていく。
最初はちょっとイラッとした自分が恥ずかしい。

人と人のあったかいゆるやかなつながりが感じられる居酒屋さんでした。
いい時間でした。

2026.6.19 / 浜永 良成

前回は静かな灰色の世界、今回は緑の光の世界。
先月、地方の高速道路を走りました。
小さな緑の山が連なり、春の木々の勢いがすごい。
葉が生い茂って枝は見えない。
光が当たると黄色く白く輝く葉。
若葉は太陽のエネルギーをぐんぐん吸いとっているようで緑の力を感じる。
太陽が強くなってくると地面に映る木々の影の輪郭もはっきりとしてくる。
未だ稲が芽吹いたばかりの水田は雲が映って鏡のよう。
さまざまな植物と自然の関係。
木や草花は太陽の光を吸いとり、命を育てる。
植物は生きているんだと実感できる。
命の表出のような緑は人に大切なことだと思えた。

2026.5.8 / 浜永 良成

本棚を整理していたら10年ほど前に美術館のショップで買ったデンマークの画家の画集が出てきたので久しぶりに開いてみました。
その絵は室内画が多く、どれも全体が灰色系の静かな何ということのない絵に見えます。
人物は居ても、ただ静かにそこに佇む。
人は後ろや下を向いていてあまり生命感を感じない。
室内画には扉が描かれているがほとんど扉が開いていて隣の部屋が見えている。
それは何かの暗示?
風景画には空はあるが、雲が多く太陽光は弱く描かれており廃墟のようでもある。
全て緻密に表現されているが輪郭はあまりはっきりとはしておらず、むしろぼんやりしている。
時間が静止しているようだ。ひどく落ち着きを感じる。
全て画家が感じた外世界を自分の内世界の感じ方で表現しているのか。
ある明け方、窓の外を何気なく眺めると空は少しだけ明るくなっていたが今にも小雨が降りそうなどんよりした曇り空。
緑の葉っぱも灰色に見える。
だけど、穏やかな気持ちになるとともに、あの画集の絵画と似た感情を与えてくれることに気づきました。
人にはそんな時間もあってもいいと感じました。
我々は暗くない葬儀を目指していますがこの絵画のような静謐の時間を過ごすお別れも一つの選択肢だと思いました。
それはどうしようもない喪失感ともう一回会いたいけれどもう会えない諦めの気持ちでいる時にふさわしい世界を与えてくれるからと思えたからです。

ヴィルヘルム・ハマスホイの「ロンドンのモンタギュー・ストリート、あるいは大英博物館の側面」

ヴィルヘルム・ハマスホイの「室内」

ヴィルヘルム・ハマスホイの「白い扉、あるいは開いた扉」

2026.3.27 / 浜永 良成

30年ぶりくらいにCDジャケ買いをしてしまいました。以前よく聞いていたトランペット奏者のデュオアルバムです。
ジャケットの写真のレトロな水着女性(表)とプールの水色(裏)と背景のベタ塗りのピンクとのコントラストがなんとも言えず、どんな曲が入っているのか確認もせずにポチしました。
曲は想像以上でホッとしました。
若い頃は部屋にレコードアルバムを飾っていた自分としてはネット配信のアルバムには当然ジャケットもライナーノーツも無く、曲を聴きながらジャケットの絵を眺めたり曲の説明を読んだりする楽しみも無く物足りない気持ちになります。
(ジャケ買いとしてはもちろんCDよりレコードがいいのですが)
それよりなぜこのジャケットを気に入ったのか改めてじっくり眺めると写真と一色のベタ塗りという2種類の表現の融合が単一の写真、イラストとは異なる現代絵画にも似た世界が表れているように感じました。
異質なものを組合せた新たな商品も考えられそうですね。

2026.2.13 / 浜永 良成

テレビや映画は視覚と聴覚が同時に刺激されていて更に他の感覚とかけあわせる事例はあまりありません。

食事のシーンで匂いを流したり、地震などのシーンで椅子が振動するなど他の感覚を合わせることも実験的にはあるようですが一般的ではないですね。

音楽を聴きながら、文学を読むと単独とは少し異なるように感じることがあります。

文学から感じることを増幅してくれることもその逆もあります。

それが自分の好みで選んだ組み合わせであれば豊かな時間だと感じることがあります。

雑然とした自宅の居間も何か落ち着いた時間を与えてくれる空間のように感じられます。

絵画をじっくり観ながら、合いそうな音楽を聴くなどもありですね。

文学と音楽の各々の組み合わせは人それぞれの好みであり、いろいろ組み合わせることができます。

これ、音楽が流れる喫茶店で好きな本を読むってこと?ではなく音楽も自分が選ぶところが要です。

そこにはちょっとした創造性、偶然性、発見があり、その人独自の世界がつくれることもあります。

うまくいけば他者に作られた組み合わせより豊かな時間を味わうことができます。

他にも複数の感覚の組み合わせで新たな愉しみ方ができるものがあるかもしれませんね。

かけざんすることで新たな価値を持つ商品・サービスも考えられるかもしれないなんて考えたりもします。