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LEADERS BLOG

2021.12.24 / 浜永 良成

先日遺影写真家のドキュメンタリーをテレビで見ました。

以前は広告の写真を専門にされていた方なのですが、販売商品が終わると共に消えていく写真よりずっと残り見続けてもらえる遺影専門となりました。

義理のお父さんが亡くなった時に、その方が撮影した写真がなく、旅行に行った時の誰が撮ったかわからない写真を使うことになり、自分はプロなのにと、、、とても後悔が残ったそうです。
そのあと直ぐにご両親の写真を撮り、話しかけてくれるような写真が仕上がったことがきっかけということです。

そして遺影に向かえば声が聞こえる、口角を上げただけではなく目が自然に笑っているそんな人の心に残る写真を撮りたいと強く思うようになったそうです。

写真家の名前は残らないが写真そのものは100年後にも残る。
故人が伝わる。
残されたひとを癒す。
写真を見る=亡き人に会うと感じられる。

そんな遺影写真。

遺影写真を撮られた方はこれまでのケジメになり、残された人生の再出発になったと話されていました。
遺影の中の明るい自然な自分の顔を見て元気でいようと思うそうです。

生きる力をくれる。
自分の笑顔は自分に元気をくれる。

私たちの仕事も直接ではありませんが故人や遺族に寄り添う仕事です。
余命わずかな人と接していく仕事って辛いという先入観を拭いさり、こんな「仕事」って本当につながりを大切にしているんだと感じました。

自分の大切にすることとつながっている仕事で生きていけることのありがたさに満ちた人でした。

自分たちの仕事がこんな姿に少しでも近づければいいなぁと思いました。

2021.12.17 / 久保繁

最近の新幹線ではビジネス車両が導入されて、その車両はパソコン利用、Web会議など会話OK・携帯OKとなっていますね。
移動中にWeb会議もパソコン作業も気兼ねなくできるので有難いですね。
鉄道会社も時代のニーズに合わせてきているのだなと思います。
そうは言うものの、キーボートの音とか話す際には気を遣いますねと、本社で清水取締役と会った時にもそんな話をしていました。
そんな話をしたばかりの帰りの電車での出来事。
金沢から名古屋までの電車特急「しらさぎ」には残念ながらビジネス車両がありません。
その日の「しらさぎ」では、私の席の後ろの席でパソコン広げて仕事している30代くらいのサラリーマンがいました。
出発時から何やら仕事でトラブルでもあったのか、出発前まで電話で相手と話をしており、電話が終わると独り言で文句をボソボソと言いながら、パソコンのキーボートを爆音・超高速で叩き出しました。それがまたキーボードが破壊されるのではないかぐらいの強さなので、「ベートーベンか!」と突っ込みを入れたくなりました。
また音もミュートにしてないので、誤操作のたびにピロンピロン音も合わさって、「下手くそか!」とさらに突っ込みを入れたくなりましたが、まぁ彼もよほどトラブルが大変で追い込まれているのだろう、乗っている途中で騒音も終わるだろうと優しい気持ちでおりました。
ところが、何駅通過してもまったく終わる気配がなく、しまいにはキーボードを叩くたびに、まるで地震のように私の座席が揺れるほどエスカレートしてきたので、さすがに注意して(優しい目で)静かになりました。
ヒロユキ風に言わせていただくと、
そもそも彼は「周りに気を配れない・迷惑かけている意識もない」という時点で、日頃の仕事がうまくいっているとはとても思えない、だから電車でもあくせくと仕事しなくてはならない状況になっているのではないかと想像ができてしまいますね。
普段物静かで大人しい私としても無意識に周りに迷惑をかけていないかあらためて気をつけようと思った次第です。

2021.12.10 / 清水吉樹

「自由が嫌い!」という人は僕の周りにはあまりいないのですが、皆さんはどうですか?
僕もできれば自由に生きることができた方がいいなーと考えていますし、大切にしたい価値観の一つです。さて、ここで改めて「自由」とは何か?どんな状況が「自由」だと言えるのか?そんなことを考えてみました。

『自分の好きなことだけを好きな時に好きな人と(または一人で)好きなだけやれる状態』が「自由」だとしましょう。確かに「自由」な感じがします。
さて、いささか唐突ですが、僕の息子(3歳)は、おそらくこの「自由」が何かに妨害された!と感じた瞬間、泣いたりわめいたり踊り出したりしてかなり周りをげんなりさせます。彼の心中を僕なりに察しての勝手な解釈ですが(笑)
でも、いい大人はそんな振る舞いをするわけにもいきませんよね。
しかしながら、泣いたりわめいたりはしないまでも、同じようなことをしていないだろうか?!とハッとすることがあります。
例えば、
・機嫌が悪くなる
・不満な気持ちを態度に表す
・無視する
・あきらめる
などなど。
これは周りの人を困らせるような振る舞いではなかろうか?
泣いたりわめいたりする以上に質の悪い態度ではないか?
と、これは大いに猛省すべきだなぁ・・・とモヤモヤしていた時に、次のような言葉に出会うことができました。新聞のコラム欄に掲載されていたものですが、とても素敵で勇気づけられるメッセージだと思ったので、ここに内容を一部抜粋してご紹介します。
皆さんのこれからの人生を、楽しく充実した自由を実感できる時間にするための気づきになれば幸いです。
 
 
自由とは何か?
自分のことだけを考えて楽をする。それは「わがまま」。
つらいこと、いやなことはしない。それは「逃避」。
そうした生き方を続けていると自分の可能性はどんどん狭まり、逆に不自由になる。
困難の壁にぶつかっても希望を捨てない。自分らしく一歩でも一ミリでも挑戦を続け可能性を開いていく。その生き方にこそ真の「自由」と「満足」がある。

2021.12.3 / 小平洋一

皆さんの誰しもが、毎日の仕事の中で様々な判断(judgment)をします。
この「判断」はどの様にして行うのでしょうか。

感覚?経験?なんとなく?・・・

その場その場における正しい判断は、決して適当な場当たり的なものでは出来ない筈です。
では、その「判断の基準になるもの」は何でしょう。

以前(そうとう昔)に読んだ本の中に「人生に必要な知恵は、すべて幼稚園の砂場で学んだ」と言う物がありました。

・何でもみんなで分け合うこと
・ズルをしないこと
・人をぶたないこと
・使ったものは必ず元のところに戻すこと
・誰かを傷つけたら、ごめんなさいと言うこと
など・・

つまらない、当たり前の事のように見えるかもしれませんが、どう生きるか、
どのように振舞うべきか、何を大切に日々を送るか・・・
仕事も人生も価値判断の基準も、すべては純粋な気持ちと目でしっかりと見れば、
自ずと正しい答えが目の前に現れるのではないでしょうか。

皆さん一人一人が、急がず慌てず、この「判断の原点」を心がければ、
もっともっと素晴らしい思いやりのある職場に成長できると感じます。