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2025年は「戦後80年」の年になります。つまり戦争が終わった1945年から80年が経過したということになります。80年という歳月は、52歳の僕にとっては「ちょっと昔のハナシ」「祖父母が体験した時代」といった感覚ですが、人によってその感覚は違うと思います。20歳の人からみたら80年前は「歴史」的な感覚かもしれません。
さて突然ですが、ここで日本史の問題です!
【1945年の80年前、日本はどんな時代だったでしょうか?】
直感として、なんとなく今とさほど変わらない時代のような気がしたのですが、冷静に考えると1865年になるので幕末なんですよね。戦後の80年前が幕末(つまり江戸時代)って、皆さんはどんな感覚になりましたか?僕はなんとなく時間の感覚がマヒするというか不思議な感覚になりました。「戦後」をきっかけに「幕末」と「現在」がつながっているという実感がわいたというか、なんというか・・・。
さて、今から80年後は2105年つまり22世紀です。たぶん私はこの世にはいないと思いますが、どんな時代になっているかを想像するとワクワクします。
酷暑が続く今日この頃ですが、「脳内時間旅行」でリフレッシュしつつ2025年の夏を乗り越えていきましょう。
皆さん、お体ご自愛ください!
最近読んだ本で、僕がとても感銘を受けた文章を紹介させてください。
ある技術者のコトバです。
“私の仕事(技術)の鍛錬のため、日常の全てのモノゴトを利用している。例えば「爪切り」「歯磨き」「移動」「雑談」といった仕事には直接関係がないようなものでも間接的には何かしら得られるものがある。そう考え日々黙々と実践できることが私の唯一の才能だと思う”
いかがでしょうか?
『これは何の意味があるんだろう?』
『退屈な時間だな・・・』
と日々の暮らしの中で感じる事が少なくない僕には、なかなか刺激的なコトバでした。
きっとこの人にとっては日常目にする全てのモノゴトがキラキラと輝いて見えるんだろうな~と思うと羨ましくなります。そんな境地になれたら・・・、と。
そう思いながら周りを見回すと、その境地にいる人がすぐそばにいる事に気が付きました。はい、自分の子ども(7歳)です。彼はたいていの時間を笑顔で楽しそうに過ごしています。何が面白いのか僕には全く理解できない状況でも、没入し心からその瞬間を満喫しているように見えます。
もちろん、子どもと先に紹介した技術者に共通項を見いだすことは難しいのですが、「没入感」という部分は似ているのではないかと思います。
『なんの意味があるのか?』と考察を深めることはとても大切なことだし好きな事でもあるのですが、没入することで得られる気付きや歓びが、今日そして未来を生きるための糧・パワーになるのではと考えるようになりました。
これからも、あれこれ考えたり悩んだりするとは無くならないと思うけど、純粋に「没入」できる瞬間を育み大切にしよう、と感じた今日この頃です。
みなさんは「中庸」というコトバからどのようなイメージを持ちますか?
バランスがとれている状態・妥協の産物・普通(いい意味でも悪い意味でも)・面白みがない、などなど、人によって抱くイメージが多様な不思議なコトバですよね。
さて最近、年齢もキャリアも性別も価値観も異なる様々な多くの人たちと議論や討論をする機会が重なり、それがきっかけで今までと違った観点で「これからのこと」に向き合い考えるようになりました。自分の価値観や考え方を相対的に、少し俯瞰して眺めることができるようになったからだと思います。そこから、自分の考え方や判断基準に固定観念や独りよがりな点が多かったのではないか、と気が付いたと同時に「中庸」という謙虚に学ぶ姿勢が今の自分には必要だと改めて感じました。
「中庸」とは洋の東西を問わず歴史上多くの偉人が「あるべき状態」として尊重してきた概念です。私はそれを「あらゆるモノゴトを絶対視せず、謙虚にそしてしなやかに状況(今)に向き合う姿勢」と解釈し、これからの人生を歩んでいこうと考えています。凡人には難しくて険しい道ですが、一歩ずつ諦めず進んでいこうと考えています。
最近感じたことなんですが、「認識」ってなんだか難しいな、と。難しいというか「正しく認識することはなかなかできることではない」という方がニュアンスとしてはしっくりくるかもしれません。・・・・。すいません、意味不明ですよね。
状況を説明させてください。
ある時、ある人が「私は〇〇が苦手で、うまく〇〇できる人がうらやましい!」ということを言ったんです。僕はその人の〇〇は下手ではなく、どちらかというと上手だと思っていたのでめちゃくちゃビックリしたんです。で、「いや、どちらかといえば上手なほうだと思いますよ!」と言ったんですが、ご本人的には納得されていない感じで、なんかモヤモヤする、という一幕がありました。で、冒頭の「認識ってむずかしい」につながったという訳です。ある「現実」に対してどのように「認識」するかって人によって様々で、その時の状況によっても変化する不安定で不確実なものなんだと、改めて感じた出来事でした。
まったく話は変わりますが、僕はどちらかといえば「現実を悲観的に認識する」という思考のクセがあります。これは行動力や判断力に悪い影響を与えることが多くなかなか面倒なクセです。わかってはいるのですが「認識」を自覚的にコントロールすることが難しく、この年になっても苦労しています。自分の「自己認識」と第三者の「他者認識」にギャップがあることも意識しつつ、自分を鼓舞し他人に寛容になれる「認識」をもてるよう、日々精進していこうと強く感じる今日この頃であります。
2025年1月もあっというまに終わりましたね!皆さんにとってこの2025年が「挑戦できた!」「最高の年だった!」と認識できる年になるよう、さあ、がんばっていきましょう!
「もしも社会主義の国に生まれそこで生活していたら、今自分は何をしているだろうか?」
皆さんどうでしょう、考えたことありますか?
これは先日三和物産が実施した、あるゲストを招待しての講演会の中でそのゲストが投げかけてくれた問いです。
社会主義ってなんだろう?
資本主義とはどう違うんだろう?
社会主義の国で僕だったらどう生きるんだろう?
社会主義の国に住む人って何に喜び何に悩んでいるんだろ?
といった「?」がドバドバ湧いてきて、かなり興奮したことを今もはっきり覚えています。
なんか知らない土地や国を旅行して不安になったり途方にくれた時に感じる「敏感」さ、というか、うまくコトバにできないのですが「全ての物事に強烈な好奇心が発動する感覚」に近いものを感じました。自分が存在している社会があたりまえに持つ価値観を、その前提からひっくり返して想像することの面白さに、興奮したんだと思います。
その時以来、疲れた時や行き詰まった時は、前提をガラッと変えてそこで自分が何を感じるのかをイメージしながらリフレッシュしています。
え?それは一般的に現実逃避と呼ぶものでは・・、ですって?
違います!前提を問い直すことで体験できる「思考旅行(妄想)」です!
毎日お疲れのみなさん、お試しあれ!
<追伸>
もし僕が社会主義の国で生活していたら、きっと農業と漁業と狩猟を生業とした暮らしをしているような気がします。
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