LEADERS BLOG
新しいことに取り組んだり、難しい課題に挑戦したり、今までできなかった事ができるように己を鍛えたり。理由や動機は様々あるとは思いますが、このように「自分を変える」ための行為って僕は大好きです。あと、他人の「自分を変える」ための活動や取組を見るのもかなり好きです。
さて、この「自分を変える」行為ですが、基本的に苦しみや悩みを伴うことが多いのではないかと思います。時間と手間をかければ成長できるゲームの世界と違って、現実の世界はそう簡単ではありませんよね。努力が報われないこともありますし、成長や変化が実感できず自信を失ったり途方にくれたり、挑戦を他人に誹謗中傷されたりすることもあります。
「なんでこんなことやっているんだろ?」
「意味があるのかな?」
と失意の中で、成長を諦めるきっかけを探している自分に気づき、さらに落ち込んだりすることもあるでしょう。
これが正しい!
とか、
こうあるべき!
ということをここで述べるつもりはありません。
大切な自分の人生なので。
でも僕はそんな苦悩を抱えながら日々生きていくことが好きだし、シンプルに面白いと考えています。
今日は昨日の繰り返し。
明日も今日の繰り返し。
こんなスタンスでのんびり暮らせる平和な日々がいつまでも続くとは思えない今日この頃です。苦悩を抱え日々活動する仲間たちにエールを送りつつ、今日もそしてこれからも挑戦を続けられるよう己を鼓舞して参ります。
徒然なるままに書き連ねてきましたが、なんか最後は選挙演説のような自己PRになってしまいました・・・。すいません(笑)
さあ、皆さん。今日も明日も頑張っていきましょう!
ではまた!
いよいよ12月に入り、今年もあと数えるほどになりました。
年を重ねるごとに「1年があっという間に過ぎていく・・」と感じるのは私だけでしょうか・・・
この1年を振り返ると、年頭に立てた目標を忘れずにどこまで出来ただろうかと反省する日々です。
社内では部門目標・個人目標を立てて、その達成に向かい走り始めていることと思います。
お正月休みには、一杯やりながらでも、令和5年のプライベートな目標も考えてみたいと思っています。
皆さんは、どんな目標を立てるのでしょうか・・
いずれにせよ、まだまだ自己成長のできるような年頭指針を立てたいものです。
(来年の今頃も、また反省しているような気もしますが・・・)
いよいよFIFAワールドカップカタール2022が始まりました。
しばらくはどこにいってもサッカーの話題が増えますね。
先日ワールドカップの特集をテレビで何気なく見ていたら
日本のワールドカップ出場を振り返っていましたので、
私もワールドカップ初出場から4年ごとを振り返ってみました。
1998年フランスW杯 1次リーグ敗退(19歳大学2年)
2002年日本W杯 ベスト16 (23歳新卒1社目)
2006年ドイツW杯 1次リーグ敗退(27歳転職2社目)
2010年南アフリカW杯 ベスト16 (31歳三和物産)
2014年ブラジルW杯 1次リーグ敗退(35歳三和企画部)
2018年ロシアW杯 ベスト16 (39歳三和生産本部)
2022年カタールW杯
就職・転職・結婚・子供が生まれるなど、
自分が置かれている環境が大会ごとに変わっていたのは、
新たな気づきでした。
4年周期というのは、絶妙な周期ですね。
4年前、三和物産の本社は小松でした。
4年後、三和物産はどうなっているのか?
今から楽しみです。
新聞に小学校2年生女の子の「水田」という習字と「すてきな色ばかりのけしき」という習字の説明文が掲載されていました。
そこに合った言葉を拾ってみると
「よいお天気」
「空は水色」
「山はみどり色」
「ゆきで白色」
「水はとうめい」
「水がつめたかった」
「水田はゆきどけ水がつかわれている」
「すてきな色ばかりのけしきを見ることができて、しあわせな気もちになりました」
簡素な言葉と限られた漢字の文章はとても読みやすく、純粋で心が澄んでいく気がしました。
きっと美しい透明な心があれば知っている言葉は少なくても感じていることは正確に伝えることができるんだと思いました。
ひらがなとその合間に点在するシンプルな画数の少ない漢字の配置すら不思議にきれいに見えてきました。
『学問のすすめ』といえば?
はい、そうですね。1万円札の肖像にもなっている福沢諭吉さんの代表的な著書の一つです。冒頭の一句
【天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり】
はあまりにも有名で、これをもって博愛・平等・人道主義を賛美した内容かと思いきや、その後に続くコトバはあまり知られていません。ちょっと抜粋してご紹介しますね。
【されども今広くこの人間世界を見渡すに、賢き人あり、愚かなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや?その次第甚だ明らかなり。実語教(当時子どもがよんでいた教科書的なもの)に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由ってできるものなり】
と続きます。
つまり、人間は生まれた時には貴賤はないけどその後の人生で学ぶことをするかどうかで大きく差がついてくる。だから学ぶことに於いては差別があってはならない。と解釈できると思います。ちょうど封建制度が瓦解して新しい世の中になったけど、まだまだ身分的な差別があった当時(明治時代初期)の世相を反映した内容ですね。
さて、今の日本は誰もが自由に学問ができる環境です。つまり誰もが賢人になれる(可能性がある)環境ということです。このあたりまえの前提を感謝しつつ、学問を通して世の中を広く深く知り、新しい知恵(イノベーション)や他人と議論する勇気(変革)を得て、豊かに楽しく生きていこうぜ!
と、財布の中の諭吉クンが語りかけている気がしませんか?
ではまた!
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