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LEADERS BLOG

2021.12.3 / 小平洋一

皆さんの誰しもが、毎日の仕事の中で様々な判断(judgment)をします。
この「判断」はどの様にして行うのでしょうか。

感覚?経験?なんとなく?・・・

その場その場における正しい判断は、決して適当な場当たり的なものでは出来ない筈です。
では、その「判断の基準になるもの」は何でしょう。

以前(そうとう昔)に読んだ本の中に「人生に必要な知恵は、すべて幼稚園の砂場で学んだ」と言う物がありました。

・何でもみんなで分け合うこと
・ズルをしないこと
・人をぶたないこと
・使ったものは必ず元のところに戻すこと
・誰かを傷つけたら、ごめんなさいと言うこと
など・・

つまらない、当たり前の事のように見えるかもしれませんが、どう生きるか、
どのように振舞うべきか、何を大切に日々を送るか・・・
仕事も人生も価値判断の基準も、すべては純粋な気持ちと目でしっかりと見れば、
自ずと正しい答えが目の前に現れるのではないでしょうか。

皆さん一人一人が、急がず慌てず、この「判断の原点」を心がければ、
もっともっと素晴らしい思いやりのある職場に成長できると感じます。

2021.11.29 / 西河誠人

ある歌舞伎役者の方の話です。

その日も舞台が終わり
関係者8人で食事にいって、
楽しく過ごしていたらしいのですが、
違和感を感じたそうです。

せっかく8人で来たのに8人で会話を楽しむというよりは、
前後左右でバラバラに違う話題を話してる。
これはなんか違うのではないか?

照明が明るすぎるからではないか?
そう思った歌舞伎役者の方は、
照明が明るすぎるから消してみようと提案!

机の真ん中にろうそくの灯りだけにしたそうです。

そうすると不思議なことに
8人の距離が縮まり、一つの話題で
食事を楽しむことができたそうです。

これは何を意味するのか?
皆さんは何を感じますか?

実際に全体的に暗い中で局部的に照明される「あかりだまり」がある場合、
互いが近づいて会話しやすいなどといわれているそうです。
人と人とのコミュニケーションにおいて、周りや人の見え方を左右する
空間の照明には大きな影響があるようです。

私たちは「つながりが実感できる新たな別れのカタチをつくる」
をミッションにしていますが、
葬儀のさまざまな場面でどんな灯りがふさわしいのか、
灯りにも着目してみたいと思います。

2021.11.19 / 久保繁

コロナ禍でなかなかアクティブに動くことができないですが、新規感染者も減ってきて(今のところですが)、秋も深まり涼しくなってきたので訛っている身体をいかに健康に保っていけるか改めて考えてしまいます。
皆さんも身体は健康ですか?

最近知ったのですが、「体脂肪」と「内臓脂肪」は減らす方法が違ったこと。
運動すれば両方減るのかなと思っていたのですが。
体脂肪は運動(有酸素運動と筋トレ)で、内臓脂肪は食事(糖質・脂肪・塩分控える)で落とす。
これが、運動は比較的苦にならないのですが、運動した後に余計に食べたくなりますよね。
食べてしまうと体脂肪は落とせても内臓脂肪は落ちない・・。
毎日が意思と脂肪の戦い。
ただ健康でないと仕事も遊びもできなくなります。
健康第一ですね。
ちなみに顔ってどうすれば痩せるのでしょうか?
誰か教えてください。

2021.11.15 / 浜永 良成

従兄弟のお墓参りに、彼の両親(=私の叔父さん、叔母さん)と私の妹とで行ってきました。

神奈川県の県道から2~3分登った丘にその霊園はあり、周りは林で囲まれていて少し俗世とは離れている感じで、通路のようなタイルの壁の前に1.4メートル程度の高さの洋風の墓石が並んでいるという、これまで見たことのない明るい印象の作りでした。

手を合わせている時にその墓石にトンボが止まって、妹が「〇〇ちゃんだ」と言います。
そんなことはあるはずがないのですが、そうかも・・・と思わせる何かを感じました。

その後4人で簡単に食事をして、なんとはなくその従兄弟の昔話になりました。
それは我々が子供の頃から成人するまでの昔話がほとんどでしたが、かなり鮮明に思い出せたことがいろいろとあります。
叔父さん叔母さんにとっては、自分たちより早く亡くなった子供の哀しい想い出ですが、妹は明るく話し、叔父さん叔母さんはそれをニコニコして聞いていました。

お墓参りという行為で亡き人を思い出し、共にお参りした人と語り合うことで、もう会えない人の記憶とつながることができました。

少し前に会社の会議で
「人は二度死ぬ、1回目は死んだ時、2回目は忘れられた時」
という話を聞きました。

その言葉が蘇ります。思い出すうちは、その人の中でヒトは生きている。

今回のお墓参りで、とても分かった気がします。

2021.11.5 / 清水吉樹

ういろう・きしめん・ひつまぶし・味噌煮込みうどん・手羽先・といえば、はい「愛知(というより名古屋かな?)」ですよね。僕はこれらが好物で愛知に行くと必ず何かを食べてます。さて、今回のブログ、タイトルが「愛知」となっていますが、地名の「愛知」ではありません。『知ることを愛する』というテーマでお話をさせていただきます。

『知ることを愛する』これは「哲学」の直訳です。そうなんです。「哲学」って知ることを愛しそして追及する姿勢のことを言うんです。
「この世は何でできているのか?」
「人間(自分)はどうあるべきか?」
「社会はどうあるべきか?」
といったなかなか「答え」を見つけにくいテーマを掘り下げて徹底して考える学問なんですね。「哲学」というと「俺には関係ない」「私は興味がない」という方もいらっしゃるかもしれません。
でも、日々生活していく中で
「今なんでこれをやっているんだろう?」
とか
「あの人はこうあるべきではないのだろうか?」
とか
「もっとこう伝えれば(言えば)よかった・・」
とか、思い悩むことありませんか?
僕はあります。
けっこうあります。
でもこれは「どうあるべきか?」を考えるプロセスで涌き出る「葛藤や苦悩」でここから成長や発見があるのではないかと僕は考えています。
「葛藤」や「苦悩(悩み)」がある、ということは必死に考え誠実に生きている証です。そこにしっかり向き合い続けたその先に「愛知」の奥深さ・面白さ・偉大さを知り、そして豊かな人生を歩むことができる!と信じて、今日も葛藤や苦悩を満喫しましょう!
ういろうでも食べながら。