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LEADERS BLOG

2025.6.30 / 小平洋一

先日の日曜日、知人に教えられて「絵手紙」の展覧会に行きました。
とてもたくさんの作品が飾られており、ゆっくりと鑑賞して回りました。

なんとも素敵な言葉ばかり、優しい筆絵ばかりで感動と言うよりも心底励まされたように感じます。

普段はあまり聞かないような励ましの言葉や、愛情のこもった優しい言葉が、溢れんばかりに小さなはがき台のものから、少し大きめな色紙台のものに描かれています。

ひとつひとつその言葉や絵を見ながら、目頭が熱くなるような穏やかな気持ちになりました。何か張りつめているものが溶けていくような・・・有難くて暖かい時間を過ごせました。

皆さんも、機会があれば是非足を運んで優しい気持ちに包まれてみてはいかがでしょう。

2025.6.27 / 久保繁

私がずっと見たかった中国の10年「再会長江」という映画。
昨年日本でも上映されてましたが行くことができず、最近やっと動画配信されたので見ることができました。

映画の冒頭から、長江の源流へと誘われます。まだ人跡未踏の秘境に広がる、想像を絶する大自然。
氷河が溶け出し、細い流れがやがて大河となるその過程は、生命の誕生と成長を目の当たりにしているかのようです。
ドローンで捉えられた映像は、その雄大さを余すところなく伝え、思わず息をのんでしまいました。

しかし、この映画の真骨頂は、美しい映像だけではありません。
10年前の撮影と、現在の撮影を比較しながら進んでいく構成が、時間の流れ、変化、そして不変というテーマを鮮やかに浮かび上がらせます。

そして、その中でも私の心を鷲掴みにしたのは、雲南省奥地の「シャングリラ(香格里拉)」と呼ばれる地です。
切り立つような山々の間に広がる、どこまでも続くかのような緑の絨毯。
そこには、現代社会の喧騒とは無縁の、原始的で、しかしとてつもなく豊かな自然が息づいていました。
(言葉では伝えづらいので、是非ネットで検索してみてください)

そして、そのシャングリラで出会った一人の少女の存在が、この映画にさらなる深みを与えています。
その少女は地元の世界しか知らず、地下鉄にも乗ったことがなく、家族と一緒に大都市・上海へ連れて行き、外の世界を初めて目にした瞬間を動画にしています。
それは10年前の撮影で、無邪気な笑顔を見せていた彼女が、10年後、どのように成長し、長江と共に生きているのか・・・。
※ネタバレになるので10年後の彼女がどうなったのかは是非映画を見てください!

ということで、10年越しのドキュメンタリー映画を見て、
長江という一本の河を通して、ダムの建設、都市の発展、人々の生活様式の変化…。文明の進歩と自然との共存という、根源的な問いを投げかけられているようでした。

今まで一生のうちに行きたい場所といえば「少林寺」でしたが、
今は「シャングリラ」をこの目で見てみたい!

皆さんも一生のうちに行ってみたい場所はありますか?

2025.6.20 / 清水吉樹

最近読んだ本で、僕がとても感銘を受けた文章を紹介させてください。
ある技術者のコトバです。

“私の仕事(技術)の鍛錬のため、日常の全てのモノゴトを利用している。例えば「爪切り」「歯磨き」「移動」「雑談」といった仕事には直接関係がないようなものでも間接的には何かしら得られるものがある。そう考え日々黙々と実践できることが私の唯一の才能だと思う”

いかがでしょうか?
『これは何の意味があるんだろう?』
『退屈な時間だな・・・』
と日々の暮らしの中で感じる事が少なくない僕には、なかなか刺激的なコトバでした。
きっとこの人にとっては日常目にする全てのモノゴトがキラキラと輝いて見えるんだろうな~と思うと羨ましくなります。そんな境地になれたら・・・、と。
そう思いながら周りを見回すと、その境地にいる人がすぐそばにいる事に気が付きました。はい、自分の子ども(7歳)です。彼はたいていの時間を笑顔で楽しそうに過ごしています。何が面白いのか僕には全く理解できない状況でも、没入し心からその瞬間を満喫しているように見えます。
もちろん、子どもと先に紹介した技術者に共通項を見いだすことは難しいのですが、「没入感」という部分は似ているのではないかと思います。

『なんの意味があるのか?』と考察を深めることはとても大切なことだし好きな事でもあるのですが、没入することで得られる気付きや歓びが、今日そして未来を生きるための糧・パワーになるのではと考えるようになりました。
これからも、あれこれ考えたり悩んだりするとは無くならないと思うけど、純粋に「没入」できる瞬間を育み大切にしよう、と感じた今日この頃です。

2025.6.6 / 西河誠人

「今度、名古屋で集まるんだけど来ない?」
そんなふうに声をかけられたのは、集まりの3日前のことでした。まぁまぁ忙しい時期だったけれど、その日はぽっかり1日空いていて、久しぶりにゆっくりしようと思っていた日。これまでの自分なら、きっと断っていたと思います。

でも最近、自分と向き合う時間が増えたことで、仕事以外のこともちゃんと大事にしたいと思うようになっていました。疲れていたし、正直そこまで乗り気ではなかったけれど、「まぁ、断る理由もないか」と、なんとなく流れに身をまかせて行ってみることに。

当日は久しぶりの再会もあり、16時のオープンから22時まで、ビアガーデンで6時間ぶっ通しで飲みました。まるで学生みたいな飲み方。仕事の話から学生時代のエピソード、最近気になっていることまで、ただ笑って話しているだけなのに、あっという間の時間でした。ただただ、いい時間だったなと。もちろん翌日は少し大変でしたが、参加して本当によかったと思っています。

それ以来、「誘われたら行ってみよう」という気持ちが、少しずつ育ってきました。予定していなかったことに身を委ねると、先のことを考えすぎないことの大切さにも気づかされます。

興味があることだけを選びがちだったり、意味を考えすぎて踏み出せなかったり。いつの間にか、予定調和じゃない出来事を楽しむ力が、少し弱っていた気がしました。

大げさかもしれませんが、“自分からは選ばなかった出来事”が、新しい自分と出会わせてくれるのかもしれません。

2025.5.30 / 浜永 良成

ある日家内がリビングの棚の上に置いてあった観葉植物を見て「花が咲いたよ、この植物は『幸福の木』て名前」と話した。

そこに観葉植物があることすらさして気にもしていなかったが、少し調べてみたら4〜10年に一度花が咲き、花が咲くと花に栄養がとられて葉が枯れるとのこと。

十分開花した状態だと1センチ程度のつくしが何十本も束ねられているような見たことがない花で少しきついがいい匂いである。

一説によると幹や葉の伸びやかな美しい佇まいから「幸福」「金運」「仕事運」が高まると言われているらしい。

※花言葉はどれも先に言った者勝ち。

しかし花が咲くと葉は枯れてしまう、よく考えれば多くの草はそんなもので花から実をつくり命を繋いでいく。

「幸福の木」なのに葉を生かすために花を切ってしまうことは自然の摂理に反する行為に思える。

まさに人が「観葉植物」を造ったのだと思った。