X note

LEADERS BLOG

2026.3.6 / 清水吉樹

3月11日は、15年前に東北で大きな震災が発生した日として、私たちの心に刻まれています。53歳の僕にとって、あの日から15年という月日は、驚くほどあっという間でした。かつての「関東大震災」が私にとって歴史の一部であるように、これから生まれる子どもたちにとっても、あの日は「歴史」になっていくのでしょう。そう思うと、時間の流れに不思議な感覚を覚えます。

さて、このブログを書いている2026年3月、世界はかなり混沌としています。個人の力ではどうにもならない無力感に襲われ、「今だけ、自分だけ良ければいい」という短絡的な思考に逃げたくなる瞬間が、僕にも正直あります。
特に、目まぐるしく進化する生成AIなどの新しいテクノロジーを前にすると、「僕はどう変わるべきか」と、日々迷いと試行錯誤の連続です。決して「正解」を携えて前を歩いているわけではなく、悩み、壁にぶつかりながら、悪戦苦闘しています。

でも、そんな時に私を前へと引き戻してくれるのは、日々接する「会社の仲間」の存在です。仲間と共に汗をかき、時にぶつかり、苦悩や達成感を分かち合う。そんな悲喜こもごもの「日常」があるからこそ、僕は未来を諦めずにいられます。そして、この「日常」をただ守るだけでなく、新しいテクノロジーを使いこなし、社会と会社をもっと良くする力に変えていきたいと思っています。

先は見えませんが、だからこそ面白いですよね。不安だけど(笑)

2026.1.23 / 清水吉樹

みなさん、今年の抱負はもう決めましたか? 「抱負」なんて言うと堅苦しいですが、「こうなったらいいな」という挑戦を言葉にして、理想の未来の解像度を上げる。そうすると、決意が生まれ、人生の景色が変わり始めるのではないか、と考えています。

さて、僕の今年の挑戦は「ラ・カンパネラをピアノで弾けるようになる!」です。 楽譜も読めない初心者のくせに、テレビの演奏に心奪われただけの、単純で幼稚な「憧れ」が動機なんですが(笑)。

でも、この「憧れ」こそが、変化成長の最強の原動力になります。 あえて無謀な目標を宣言し、自分を適度に追い込む。その過程で「指が動かない!」ともがく経験こそが、仕事でも人生でも、お客様に最高の価値を届けるための「次の一歩」を踏み出すパワーになるはずです。

「ストイックすぎる」「ドM・・」と言われそうですが、2026年もこんな感じで自分を追い込み、泥臭く挑戦を続けようと思います!

さて、皆さんの「憧れ」は何ですか?

2025.12.5 / 清水吉樹

僕たちの日常は、仕事や家族の用事など、「今、目の前にあること」で目まぐるしく過ぎていきます。そんな多忙な日々の中で、「非日常」の極みである「想定外の災害」への意識を、高いレベルで持ち続けるのは至難の業です。頭では「備えが必要だ」と分かっていても、行動が伴わない。このギャップに、多くの人がジレンマを抱えているのではと思います。

僕たちの意識が薄れるのはなぜだろう?

意識を継続できない背景には、人間の二つの心理があるみたいです。

一つは、根本的な「正常性バイアス」。「きっと大丈夫」「いつもの日常が続く」と無意識に思い込む心理です。そしてもう一つは、「忙しさ」です。僕たちは、「緊急度の低い未来の備え」よりも「緊急度の高い現在のタスク」を優先せざるを得ません。非常食のチェックより、目の前のメールの返信だろ! 僕を含め多くの人がそうなのではないでしょうか。「わかってはいるんだけどね・・・」これが僕たちが抱える防災意識の継続という大きなジレンマなのではないでしょうか。

このジレンマをどう乗り越えるか?

大切なのは、完璧な備えを目指すのではなく、意識を無理なく「持続」させるための小さな工夫を取り入れることなのかなと考えています。つまり、防災を特別な時間ではなく、「日常のついで」に組み込んでしまえば良いのではないかという考えです。

具体的には、

1. 「ついで」防災を習慣にする!
・買い物ついでに: 賞味期限の長い食品や水を一つ余分に買う(ローリングストック)。   
・スマホ充電ついでに: 枕元に懐中電灯があるか、一瞬だけ確認する。

2. 「もしも」を数秒間だけ妄想する!
ふと手が空いた時に「今、大きな揺れが来たらどうする?」と、頭の中で数秒間だけ行動をイメージしてみる。この一瞬の妄想が、正常性バイアスを打ち破り、具体的な行動を意識に刷り込むきっかけになります。

備えに「完璧」はありません。目指すべきは、「意識が薄れた」と気づいた時に、すぐに「小さな行動」で意識を「再起動」できる柔軟さです。無理なく、小さく、しなやかに。

さあ、あっというまに12月です。忙しい日常の中でも、「想定外」に備える意識を維持していきましょう!

2025.10.24 / 清水吉樹

日々の暮らしの中で、衝撃を感じる事ってありますか?
僕はあります。
ちなみに、ここで言う「衝撃」とは物理的なものではなく、驚きや悲しみや興奮といった精神的な領域のものです。
どんな時に感じるかというと、
例えば、
昔の自分の写真や画像を見た時(げんなりします・・)
子どもの成長を実感した時(嬉しいようなちょっとさみしいような・・)
健康診断の結果を見た時(日々の不摂生を後悔します・・)
想定外の出来事に出くわした時(ちょっとワクワクします!)
などなど。
さて、ここ最近、頻繁に衝撃を感じる時があります。それは「生成AI」に関する情報に接した時です。僕もそれなりに生成AIを日常生活で使ってはいるのですが、日々進化する様子、僕が全く思いつかない利用方法、周囲の人たちがどんどん生成AIを活用したり学んだりして成長している姿、社会に与えるインパクト、などに接するたびに衝撃を受けます。
生成AIに関しては、その進化や可能性に慣れることができません。常に想像を超えた変化があるからだと思います。
この「生成AI衝撃」を、しっかりと受け止めて変化成長するか?あきらめたり避けたりして心の安定を求めるか?僕はこのあたりが人生の岐路、分水嶺かと感じています。ちょっと大げさかもしれませんが、それくらいの衝撃と危機感を日々感じています。
皆さんはいかがですか?

2025.9.20 / 清水吉樹

余裕をマネジメントできない、つまり、余裕が無い状況、ってきっと皆さんも経験ありますよね?僕は、納期・コスト・人間関係・成果などなど、行為に付随する「条件」が厳しいものになればなるほど余裕がなくなる傾向にあります。まあ「仕事」という領域で余裕を失うことが多いということですね。あと、余裕のマネジメントができないシーンとして「旅行(一人旅か海外旅行)」があります。コトバが通じない状況で突発的なハプニングがおこったら、余裕は一瞬で消滅します。
できれば余裕をしっかりと管理して生きていきたいのですが、余裕を失う経験をすることで得られるものが実はたくさんあるということが、書物や格言などで昔から謳われています。それを人は「経験」とよんだり「達成感」と認識したりしているようですが、僕は50歳を越え最近やっとそのことに思い至ることができるようになった気がします。
余裕を無くすと、人に優しくできなくなったり、自信をなくしたり、体調を崩したり、なかなか嫌な思いをすることが多いのですが、余裕を失っている自分を俯瞰して眺めることができるようになると、なかなか味わい深いものがあります。
妻から「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」と言われると必ず余裕を失くし狼狽するような僕ですが、余裕が無い状態を滋味深く味わえるような人間になりたいと願いつつ、今日もがんばっていこうと思います。